死への漂流

平凡なサラリーマンの思考記

やりたいこと

ずいぶん冷めてしまったけど、やりたいことが無いわけではない。

 

こういうときに何となく思うのは、だた一人、会いたい人がいる。

 

大学時代の彼女で、僕に多くを教えてくれた人。

それまでは異性とのコミュニケーションが絶望的に下手で、奥手というか、変人だったと思う。

彼女は男慣れしていて、それ自体は褒められたものではなかったけど、妙に僕には素敵に映ったし、正してもらった。

 

他の人にも同じだったのだろうと思うけど、自然に愛してくれたように思う。

こういう書き方をすると、今は愛に飢えているのかと認識させられるが、そうかもしれない。

でも、ある程度の年月が経った夫婦なんて、こんなものではないか。

彼女とは数年間の付き合いだったわけで、妻とも最初の数年間はそれなりに良い感じだったはずだ。

 

面白いと思うのは、その彼女とは年に2回だけ、一度きりのやり取りをする。

お互いの誕生日に、おめでとう、ありがとうだけのやり取りをする。

会わなくなってから、これだけが何年間も続いている。

 

次でそろそろ10年目になる。

10年間も会っていないのに、それだけが続いている。

また今度会えたら会おう、と嘘か本当か分からないやり取りをする。

 

たしかに今では住んでいる地域が違うから、簡単に会えるわけではない。

でも新幹線を使えば何てことない距離のはず。

それでも、会わない。

 

理由は明確で、当時と同じか少し良くなったくらいの容姿で再会したいけど、そうなってはいないから。

カッコ悪くなっちゃったね、で終わるよりは、会わない不思議な関係を継続する方が良い。

 

つまり、彼女に会うときは、容姿も納得できるくらいに良くなって、自信を持てたとき。

30台の半ばぐらいでは達成したいけど、それができたら、10年間も経っていないよなあ。

いつ進展があるのか、これは人生のちょっとしたスパイスになっているかもしれない。

日記のこと

たぶん僕は日記が好きだと思う。

ブログを長期間に渡って継続できたことは無いけど、書いてみようと思ったことは何度かある。

 

何より、中学生の頃はノートに手書きで日記を書いていた。

当時はスマホも無いし、おもちゃやゲームも多くは持っていなかったし、時間はあった。

 

すごい内容だったということはよく覚えている。

当時は好きな子が二人いて、その子たちへの想いを熱く語っていた。

めちゃめちゃ恥ずかしい内容だったはず。

さすがに高校生か大学生かの頃に、万が一誰かに見られたらマズいと思って、捨てた。

 

今となっては、その想いが、その想いを持てることが、何とも羨ましい。

純粋に、潜在的な動機は性欲かもしれないけど、当時はセックスしたいとかそういうものでは全くなかった。

ただ、少しでもその子たちと話せたら、それだけで大歓喜だった。

 

未知というのは、ものすごく価値が高いと思う。

全知全能なんてのは、実はつまらなくて仕方ないんじゃないか。

自分のこと

30代前半、妻子あり。両親も含めて、今のところ家族は元気。

首都圏郊外に庭付き戸建てのマイホームあり。マイカーは外車。

旧帝大院卒、大企業勤務、好きなように働いて年収は750万円ほど。

 

特に不自由は無い。

 

しかしまあ、最近はどうにも面白くない日が多い。

何をやっても気持ちが上がらないというか、響かないというか。

ただし、子どもと遊ぶ時間はとても充実していて、それについてネガティブな想いは一切無い。

 

まだまだ世界は広いんだろうけど、やり切った感がある。

人生の大きなイベントは済んでしまったのではないか。

美味しいものも多く食べてきたし、プライベートでも仕事でも何度か海外に行った。

まあ、旅行はもっと色々と行きたいかな。

とはいえ、子どもが幼いうちはそう頻繁に行けるものでもない。

 

惰性で生きている感がある。

こうして文字にすると言い過ぎな感じもするけど、よくそういうことを意識する。

人生は旅であると言うけれど、現状を考慮すると、今からは死への漂流。

 

何になるかは分からないけれど、何かを求めて、ブログに記す。